ニッポン行きたい人応援団|日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師とは?女性絵師・田中みずきさんがすごい!【富士山が描かれた理由は?】

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2026年9月21日放送の「ニッポン行きたい人応援団」。

今回は、銭湯銭湯に憧れ、全財産を投じて浴場経営をするアメリカ人男性が、念願のニッポンの銭湯を初体験します!

銭湯に行ったことがある方も多いと思いますが、銭湯といえば壁に書かれた富士山。湯船につかりながら眺めるその景色は、日本の銭湯を象徴する風景のひとつでもありますよね。

湯舟につかりながら、こんな疑問を持ったことはありませんか?

「どうして銭湯には富士山が描かれているの?」「あの大きな絵は、誰が描いているの?」

実は、銭湯のペンキ絵には100年以上の歴史があります。その始まりとされるのが、東京・神田猿楽町の場所にあった銭湯「キカイ湯」。建物はありませんが、プレートが残されています。

現在もこの伝統を受け継いでいる職人が3名います。うち一人は女性です!

「日本に3人しかいない」と紹介されてきた銭湯ペンキ絵師は誰か、富士山が描かれるようになった理由や、昔から伝わる絵柄のタブーなどを調べたので、まとめてみたいと思います。

知っているようで知らないことがたくさんありました。

  • 日本に3人しかいないという銭湯ペンキ絵師は誰?
  • 富士山が描かれるようになった理由は?
  • 絵柄のタブーなどはあるの?

これらが気になる方は、最後まで読んでくださいね。

★銭湯についてはこちらもどうぞ

目次

ニッポン行きたい人応援団|日本に3人!銭湯ペンキ絵師とは?

※イメージ画像 PhotoAC

銭湯の壁に描かれた大きな風景画は、「銭湯背景画」や「ペンキ絵」と呼ばれます。

壁一面に広がる富士山や湖、松の木などの風景。これらを専門に描く職人は、長い修業と高度な技術を必要とする非常に専門性の高い仕事を担っています。

かつては多くの絵師が活躍していたと言われていますが、銭湯の減少や職人の高齢化などにより、その技術を受け継ぐ人は限られてきました。

テレビや各種メディアで、日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師として紹介されてきたのが、次の方達になります。

丸山清人さん

長年にわたって銭湯の背景画を描き続けてきた、ベテランの絵師さんです。

中島さんとは兄弟弟子の関係。

銭湯の伝統的な富士山や風景画を手がけてきた職人として知られています。長い経験を通じて培われた技術は、銭湯のペンキ絵文化を語るうえで欠かせない存在といえるでしょう。

中島盛夫さん

銭湯ペンキ絵師として活躍し、女性絵師である田中みずきさんの師匠でもある中島盛夫さん。

伝統的な銭湯背景画の技術を受け継ぎ、後進の育成にも関わってきました。田中さんがこの世界に入るきっかけとなった師匠としても、重要な人物です。

田中みずきさん

今回、特に注目したいのが田中みずきさんです。

美術史を学んだことをきっかけに銭湯のペンキ絵に興味を持ち、中島盛夫さんに弟子入り。修業を経て独立し、女性の銭湯ペンキ絵師として活動しています。

ニッポン行きたい人応援団|女性ペンキ絵師・田中みずきさんは、なぜ銭湯の絵師になったの?

※イメージ画像 PhotoAC

絵師さんの中で最年少である田中みずきさんについて、もうすこし詳しく調べました。

田中みずきさんは、1983年大阪生まれ、東京育ち。美術史を学んだ経験を持ち、2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りしました。行動力がすごい!

銭湯のペンキ絵師というと、幼い頃から職人の家で育った人をイメージするかもしれません。しかし、田中さんの場合は、美術史の研究をきっかけにこの世界へ進んでいったんですね。

大学で卒業論文のテーマを探していたとき、銭湯をモチーフにした現代美術の作品に関心を持ち、実際に銭湯を訪れたことが出会いのきっかけになったとか。

そこで目にしたのが、浴室の壁に描かれた大きなペンキ絵でした。

美術館に展示されている絵とは違い、銭湯の絵は毎日の生活の中で人々に見られます。湯船につかる人の目の前にあり、地域の人々に長く親しまれるものです。

こうした独特の魅力に惹かれ、田中さんは職人の道を志すようになりました。

9年間の修業を経て独立

田中さんの修業は、最初から自由に富士山を描くようなものではありませんでした。

道具を運ぶ、作業場を準備する、浴室を汚さないよう養生するなど、制作を支える仕事から始まります。修行期間ですね。その後、空の色塗りなどを担当し、徐々に絵を描く技術を身につけていきました。

インタビュー記事を見ると、修業の初期には空を塗る作業が中心で、7年目に初めて男湯の半分を描いたこと、約9年間の修業を経て2013年に独立したとありました。空を塗る作業は恐らく基本の習得のためとは思いつつ、心が折れなかったのがすごいですね。

大きな壁面に絵を描くためには、絵画の技術だけでなく、作業時間の制約や体力、現場での判断力も求められます。

銭湯のペンキ絵は、単に絵が上手であれば完成するものではありません。職人のもとで経験を積み重ねることが、技術を身につけることがとても重要であることがわかります。

伝統を受け継ぎながら、新しい表現にも挑戦

田中さんの魅力は、伝統的な銭湯の風景を大切にしながら、現代の銭湯にも合う表現を考えているところ。

富士山や自然の風景を描く場合でも、以前とまったく同じ絵を再現するのではなく、構図や色使いなどを工夫しています。

また、銭湯を訪れる人がどのような気持ちで湯船につかるのかを考え、見た人が明るい気持ちになれるような絵を描くことも大切にしているそう。

伝統を守るだけではなく、時代に合わせて変化させていくという田中さんの活動は、銭湯のペンキ絵が過去の文化ではなく、現在も続いている表現であることを感じさせてくれます。

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ニッポン行きたい人応援団|銭湯に富士山が描かれるようになった理由

※イメージ画像 PhotoAC

銭湯と聞いて富士山を思い浮かべる人はたくさんいると思います。

しかし、なぜ数ある日本の風景の中から富士山が選ばれたのでしょうか。

そのルーツとされているのが、1912年(大正元年)に東京・神田猿楽町にあった「キカイ湯」で描かれたペンキ絵です。

子どもたちに喜んでもらうために描かれた絵

キカイ湯の主人は、増築に伴い、子どもたちが楽しく銭湯に入れるよう浴室の壁に絵を描くことを考えたとされています。

「キカイ湯跡」というプレートが跡地に残されていますが、それによると、当時の店主がペンキ絵を掲げたこと、その絵が大評判になって、他の銭湯でも壁に絵を描くようになったことが書かれています。

富士山が好まれたのは、縁起のよさも関係している?

富士山は日本を代表する山であり、古くから信仰や美しい景観の対象とされてきました。

さらに、山の形が上に向かって広がることから「末広がり」として縁起がよいと考えられた、という説明もあります。

銭湯のペンキ絵では、富士山の下に湖や海が描かれることもあります。湯船のお湯と風景の水がつながるような、広がりのある構図も魅力のひとつです。

銭湯の富士山は、歴史的なきっかけに加えて、日本人が親しみを感じる風景や縁起のよさによって定番になっていったと言えるのかもしれません。

キカイ湯があった場所

キカイ湯は約50年以上前の昭和46年(1971年)に惜しまれつつ営業を終えました。

その跡地のビル(TOHYUビル)にはプレートがあります。
水道橋からほど近い場所にあるようです。訪れた方によると、ひっそりとプレートがあるとのこと。

ここに銭湯があったという、ちょっとした歴史を感じられるかもしれません。

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